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長い夏の始まりを感じた一日について

木曜日は、晩のお食事会に備えて後輩に迎えにきてもらい出勤。
いつも迎えに来てくれる後輩には感謝したい。

朝からは、ぼちぼち忙しいというか・・・手帳をみて長い一日を確信した。
外来患者さんも飽和しているが、入院も飽和している。
そこへきて、装具の調整が入った。
本当に長い一日だ。

少し寝不足もあり、辛い部分もあったが、なんとか体力を振り絞って格闘した。
しかし、自己の視点を変えることで、何でも新鮮に思えるものだ。
運動イメージについても、側面=切り口を変えることでいかようにも解釈が広がる。
それこそ、多側面でのバリエーションが必要だし、 今まで考えてなった部分が有効になるのかもしれない。
ここは、批判的にじっくりとした吟味が必要だ。

運動イメージの意味合いもリハビリテーションへの導入としては一段落したのではないだろうか?
枝の部分は追及が必要かもしれないが・・・・
そういう意味では、運動イメージの持つ意味合いと臨床応用の可能性を再度見直す必要がある。
そして、切り口を広げる必要があるのだろう。
ここは、じっくり腰を据えて切り口を実際にきっていくことだろう。
この実験もやってみないと分からないものだ。
前進あるのみだな。


やみくもに、導入すれば良いというものでもない。
それは、セラピストの責任を果たす意味でも重要だろう。
ただ、やるだけではなく、専門家にはそこに根拠が必要だ。
実際には、難しい部分も当然あるが、そこは妥協してはいけない。
妥協しない姿勢を貫くことだ。
時間的限界とやらないのとは別だ。
人間はある一定量の容量を超え出すと、抑制をかけようとする。
当然なのだが、やってできないことと、やろうとしないことは別だ。
脳卒中の患者さんに、麻痺した身体への可能性追及を求めるように、セラピストの思考も自分の脳と身体に可能性追及をすべきだ。
時間とういう、物理的尺度で社会が動いている以上、限界はある。
それはそれでいいのだ。
その中で、自分がどのように生きるかを考えることだ。
簡単なことには落とし穴がある。
リハビリテーションが流れ作業であってはならない。
オーダーメードなのだ。
先日の学会でも、ヤマダキクコさんの話を聞いた。
患者の思いとはそういうものだ。
そこに、セラピストの責任がつきまとう。

達成度ももちろんながら、向き合う姿勢だろう。

自分自身も襟を正して、向き合う姿勢を貫きたい。

夕方からは、10名程でおでんを頂きに出かけた。
なかなか珍しいメンツで楽しかった。
気楽に飲み食いができるのは良い。
次回は、アロハシャツでの会になりそうだ。
夏の終わりにでも楽しめるといいかもしれない。

その後は、カラオケへ・・・
申し訳ないことに途中、意識を焼失。
すみません。
どうも限界だったようです。

大学院の課題もフルスロットルで進めることにしよう。
前進あるのみ。
忙しいけど、すべてやりきってやる。
楽しみながら・・・・

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