Procedure -The Fifth Edition-
ブツブツブツ
春だというのに、ブログの背景は暗い。
この選択に特に意味は無いが、爽やかな内容のブログでないことも確かである。
日曜日は、早朝よりカメラを持ち、桜を写真に収めるべく出かけた。
遠出をしたかったところだが、そこまでの時間的余裕もなく、近場で済ませた。
早朝は、人が少なく何とも快適。
静かな空間で、写真を撮ることができた。
腕は相変わらず、いまいちです。
よく考えていると、日常生活で音がない空間は、ほとんど無い。
もちろん、昨日行った場所も、音が全くないわけではないが、絶対的に少なく感じた。
そんな空間では、いつもよりも頭が楽な気がした。
その分、視覚や嗅覚、触覚などに集中することができた。
これも自分の中での発見の一つだ。
先ほどは、音が無い空間と表現したか、言い換えれば「静寂」とも言えるだろう。
静寂は、もう少し厳かな印象を受けるが、その空間の重要性を感じた。
仏教の世界では、禅という考え方がある。
座禅というように、瞑想にふける。
同様に、静寂なのであろう。
無くなることによって、生み出される何かがある。
自分を向きあうためには、そういう空間も必要なのかもしれない。
日常の雑音の中に、自らの思考が飲み込まれてしまっているのではないだろうか?
人の意見を聞くことも重要だが、自分の意見を貫き通すこともまた、重要である。
しかし、自分の思考ですら、どこへ向かうのかわからない瞬間もある。
それが普通だろうが。
迷い、思考の揺らぎの中から、一律の同期した瞬間が存在する。
それが、解決なのかもしれない。
ニュースでは、中学生が大麻を所持していたことが報道されている。
看護師が、患者へ虐待したと報道されている。
何かがおかしい。
こうしたニュースも、一時的なトピックスとして取り上げられるが、また忘れ去られていくのだろう。
桜の開花はうれしいニュースだが、悪いニュースは確信に迫ることが無い。
臭いものには蓋をするような、思考なのかもしれないが、少し疑問も感じる。
素通りしてしまう、人間関係。
人間関係とは、何に裏付けられるのだろうか?
相互作用にはほかならないと思うが、その稀薄性は強まっていることを切に感じる。
ラーメン屋への無言の行列、マニュアル化されたチェーン店での接客。
激安チラシの横行。
人間関係、信頼関係はどこへいったのだろうか?
数字だけでは表現できない、情動的・感情的な付加価値はどこへいったのだろうか。
何とも重い話である。
なにはともあれ、前進あるのみだ。
楽しむことを忘れずに。
イメージは、静寂で。
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