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襟を正しましょう

火曜日は、職場に以前の上司が来院された。
現在は、教育業界で活躍されているが、実にcleverな方だ。
自分が大学院へ行くようになってからは、もっぱら研究のことや統計学のことについて教えて頂いている。
年齢的には、はるか上だが、臨床や研究へ取り組む貪欲な姿勢には頭が下がる思いだ。
すごい人はたくさんいるもんだ。

夕方は、用事を終えたら帰宅した。
11月の猛ダッシュのツケが微妙に回ってきているようだ。
まぁそれはそうと、最近の自分の臨床を見直してみた。

もちろん、理学療法の業界のおいて色んな意見はあるが、本質を考える必要性を感じる。
医療においては、日進月歩をいう言葉があるように、常に最新の医療が求められる。
それはそうだ。
しかし、リハビリテーションでは、応用科学であるために、基礎医学の研究が直接的に反映されるわけではない。
色んな因子が含まれてしまうことは事実だ。
それは、そういうものだ。
そういう意味では、すこし特別な視点を持つ必要があるのかもしれない。
特に、運動を含めた動作が治療の対象となるため、困難は必至である。
外科医のようにメスを使えるわけでもなく、医師のように薬剤を投与できるわけでもない。
外部から刺激として加えることができるのは、物理療法や五感の刺激でしかない。
そういう言い方をすると、物足りない感じもするが、ブラックボックスがある以上、可能性も持つということだ。
何を対象にしているのかいうと、構造としての身体だけではなく、意思をもった有機体を対象にしている。

可能性を秘めている。
しかし、その可能性を感じているセラピストや患者はどれだけいるのだろうか?
当然、お互いが頭を悩ませる苦汁を味わう必要がある。
ここで、よくよく考えなくてはならないのだろうか?
運動学習の視点がリハビリテーションに持ち込まれ、どれだけ浸透したのだろうか?
反復だけが運動学習となっていないだろうか?
その自体はすでに過ぎているのだ。
それに追いついているのだろうか?
パフォーマンスが変化することは、重要な目的だが、アウトカムだけ見れるのだろうか?
何か人間としての本質が失われていないだろうか?

その一方で、楽しめれば良いと主張するセラピストもいる。
それにこしたことはないが、自分の身体への可能性をあきらめてはいないだろうか?
それは他人があきらめさせることではない。
急性期、回復期の患者がすでに身体にあきらめ、代償手段だけを重視したトレーニングが適切なのか?

いずれにしても、セラピストのエゴイズムが存在しているとなれば、それまでだが。
人間を見る視点を忘れてはいけない。
そして、環境があきらめれば、患者がそれに以上になる可能性は激減する。

襟を正して前進しなければならない。

水曜日は、夕方に勉強会を行った。
実技を中心に練習を行った。
改めて、繊細なタッチの必要性を認識した。
自分が見据えていかなければならないものを再確認した。
もっともっと、技術を磨く必要性がある。

また、来年に向けて自分にとって大きな仕事が舞い込んできた。
本当に嬉しい、大抜擢だ。
チャンスを与えていただける、教授、そして環境に感謝致します。
また、共同研究者達の力もお借りすることになるかもしれない。

Only advance, there begin it!!

楽しむことを忘れないようにしよう。

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