Procedure -The Fifth Edition-
There is no royal road to learning・・・
ある理学療法士の日記
KY
昨日は極限の肩こり状態だった。
やはり、抄録作成のスパートをかけた影響が出ている。
昨日は新しい職員の歓迎会だったが、失礼させてもらった。
おそらく無理をしていると取り返しのつかないことになってそうだ。
新人同士で盛り上がってくれれば、いいんじゃないか。
人数が増えてくると、盛り上がりがなくなってくる。
それもさみしいものだ。
私自身が新人だったことろは、みんなで飲んでみんなで酔っぱらっていた。
あまり不平不満もなかった気がする。
ところが今の新人達は少し違うようだ。
せっかく企画されたものであっても、好き嫌いで食べれないとか。
注がれた酒にも全く口をつけない。
終わったら姿をすぐに消す。
同期が辞める時でも、平気で帰ってしまう。
無理に飲む必要はないが、最低限の礼儀をわきまえた方が良いのでは。
自己主張ばかり強く、それを認めさせようとする。
主張は強くても良いが、その時の状況を考えなければならない。
それが社会に適応することだ。
その場に応じた、行動をとる。
少々の無理をしても分かち合うことは、お互いの理解につながる。
自分のことだけを大事することは、おそらくセラピーにも出るだろう。
今の状況でしなければならないことを感じ取る力が必要だ。
昨今、KYたるものが流行したが、その意識がどことなく働くのだろう。
KY自身も個人の主観的なものであり偏りがある場合はある。
その価値観だけで考えるのも良くはないが、状況での自分に問われているものを思考すべきだ。
状況の判断は難しいが、それが相手のことを感がるコミュニケーションを高める練習だ。
一方通行ではコミュニケーションは成立しない。
両方向でなければならない。
一方通行は、決めつけにもつながる。
決めつけは、考えようによってはエゴイズムだ。
それこそKYだ。
また、群れを作ることもそうだ。
多数の意見に巻かれることは楽だ。
セラピーもEBMで推奨される手段は、知ってて当然だ。
臨床では、それにはおさまらないケースがあり、そこには厳密な評価と手続きが必要だ。
しかし、EBMも知らない場合が多い。
当たり前のことは当たり前のことで知っておくべきだ。
訓練において、何を選択するのか?
自分の訓練が一番良いと思ってはいけない。
よくならない訓練を続けてもいけない。
もっと世界を知らないと、井の中の蛙だ。
EBMにだけ影響されるのも問題だが、適当にするならEBMが第一選択でも良いだろう。
世界の常識と自分の思考の差異を明確にすることが、新たな創造に繋がるはずだ。
科学、根拠、医療である以上は、適切な訓練を提供するようにしたい。
本を読んで勉強することは悪くないが、その理論、治療法のlimitationを知らなければならない。
すべてが良くなるなら、良くなっているはずだ。
場合によっては大きな訓練法の展開も必要だ。
それが患者のためだ。
もっと謙虚に自分の治療を考え直すべきだ。
もっともっと謙虚にだ。
それは院内レベルの検討ではだめだ。
少なくとも他の病院とも、検討せねばならない。
それが水準を上げていくことだ。
外へ目を向けた方が良い。
そういう意味では発表もするべきだ。
もっと自分自身を謙虚にさせてくれる方法を考えねばならない。
何もかもを、アヤフヤに終わらせること・・・・
それはやめた方が良いのでは・・・・
その場しのぎしか考えないこと、それもやめた方良いのでは・・・・・
それが普通だと思うこともやめた方が良いのでは・・・・・
人のことをもっと考えた方が良いのでは・・・・・
優しさと厳しさを混同しないようにした方が良いのでは・・・・・
自省することを知る。
説く前に自省する。
なんとか前向きにならないものか・・・・
やはり、抄録作成のスパートをかけた影響が出ている。
昨日は新しい職員の歓迎会だったが、失礼させてもらった。
おそらく無理をしていると取り返しのつかないことになってそうだ。
新人同士で盛り上がってくれれば、いいんじゃないか。
人数が増えてくると、盛り上がりがなくなってくる。
それもさみしいものだ。
私自身が新人だったことろは、みんなで飲んでみんなで酔っぱらっていた。
あまり不平不満もなかった気がする。
ところが今の新人達は少し違うようだ。
せっかく企画されたものであっても、好き嫌いで食べれないとか。
注がれた酒にも全く口をつけない。
終わったら姿をすぐに消す。
同期が辞める時でも、平気で帰ってしまう。
無理に飲む必要はないが、最低限の礼儀をわきまえた方が良いのでは。
自己主張ばかり強く、それを認めさせようとする。
主張は強くても良いが、その時の状況を考えなければならない。
それが社会に適応することだ。
その場に応じた、行動をとる。
少々の無理をしても分かち合うことは、お互いの理解につながる。
自分のことだけを大事することは、おそらくセラピーにも出るだろう。
今の状況でしなければならないことを感じ取る力が必要だ。
昨今、KYたるものが流行したが、その意識がどことなく働くのだろう。
KY自身も個人の主観的なものであり偏りがある場合はある。
その価値観だけで考えるのも良くはないが、状況での自分に問われているものを思考すべきだ。
状況の判断は難しいが、それが相手のことを感がるコミュニケーションを高める練習だ。
一方通行ではコミュニケーションは成立しない。
両方向でなければならない。
一方通行は、決めつけにもつながる。
決めつけは、考えようによってはエゴイズムだ。
それこそKYだ。
また、群れを作ることもそうだ。
多数の意見に巻かれることは楽だ。
セラピーもEBMで推奨される手段は、知ってて当然だ。
臨床では、それにはおさまらないケースがあり、そこには厳密な評価と手続きが必要だ。
しかし、EBMも知らない場合が多い。
当たり前のことは当たり前のことで知っておくべきだ。
訓練において、何を選択するのか?
自分の訓練が一番良いと思ってはいけない。
よくならない訓練を続けてもいけない。
もっと世界を知らないと、井の中の蛙だ。
EBMにだけ影響されるのも問題だが、適当にするならEBMが第一選択でも良いだろう。
世界の常識と自分の思考の差異を明確にすることが、新たな創造に繋がるはずだ。
科学、根拠、医療である以上は、適切な訓練を提供するようにしたい。
本を読んで勉強することは悪くないが、その理論、治療法のlimitationを知らなければならない。
すべてが良くなるなら、良くなっているはずだ。
場合によっては大きな訓練法の展開も必要だ。
それが患者のためだ。
もっと謙虚に自分の治療を考え直すべきだ。
もっともっと謙虚にだ。
それは院内レベルの検討ではだめだ。
少なくとも他の病院とも、検討せねばならない。
それが水準を上げていくことだ。
外へ目を向けた方が良い。
そういう意味では発表もするべきだ。
もっと自分自身を謙虚にさせてくれる方法を考えねばならない。
何もかもを、アヤフヤに終わらせること・・・・
それはやめた方が良いのでは・・・・
その場しのぎしか考えないこと、それもやめた方良いのでは・・・・・
それが普通だと思うこともやめた方が良いのでは・・・・・
人のことをもっと考えた方が良いのでは・・・・・
優しさと厳しさを混同しないようにした方が良いのでは・・・・・
自省することを知る。
説く前に自省する。
なんとか前向きにならないものか・・・・
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