Procedure -The Fifth Edition-
どこから見るの?
気温も暖かくなってきたので、ぼちぼち服装を変えてみた。
真冬より、ちょうど今の時期のほうが色々楽しめて良い。
真冬は服が重たいし、なんといっても寒い。
これからの季節は花粉を除いて楽しみが多い。
今日は人がどのように学習するかに考えていた。
個人の資質の問題もあれば、それに影響を及ぼす環境の問題もある。
どうすればより学習ができるのか?
そのためには視点を明らかにすることは重要だろう。
何をもって学習したとするのか。
その視点がなければ、地図を持たない旅と同じだ。
行く先がわからない。
終りがない。
たとえ道に迷ったとしても、元の道に戻る基準がない。
確かに、その視点は明らかにすることは難しのかもしれない。
ただ、何らかの基準は設けることができるだろう。
その意思を持つのか持たないのか?
治療・訓練の中で、ゴール設定を行うのと同じように、組織のシステムでも同様のことが考えられないだろうか。
何も答えを求めているわけではない。
難しいからしない。
それは「しない」はなく、「やらない」なのだ。
それも一つの方法といえば方法だが、それも何らかの視点に基づいているに違いない。
何も難しいことを求めようとしているのではない。
その視点を持つ姿勢のこと言っているだけだ。
それは個人の意思決定のシステムにも当てはめることができるが、その個人の集団である組織にも適応できる内容かもしれない。
組織として視点を持つのか否か。
正解や不正解と問うているわけではない。
学習し、成長していくためには必要なことではないだろうか。
環境からの情報を元に、行動は決定される。
それは環境から導かれるという考えもあれば、自己の意思決定によるといった考えもある。
いずれにせよ、解釈一つで非常に多くのバリエーションが存在する。
つまり必要に応じて、適した方法を選択するということだ。
確かに経験値とはなるが、それは不明確なままかもしれない。
そこに意味を付与した時点で、視点を持つことになる。
ゴールはどこか知りたいだけだ。
どう行けばいいか知りたいだけだ。
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