Procedure -The Fifth Edition-
There is no royal road to learning・・・
ある理学療法士の日記
やってしまった。
またもや久しぶりの更新になってしまった。
先週の金曜日に注射をしてから、少々調子が良くなかった。
先週の土曜日は出勤日であり、ぼちぼちと過ごした。
病院内は、暑いのか寒いのかよくわからない状態だ。
この季節の暖房は確実に喉を壊す。
つらい季節だ。
腰の方の調子も悪い。
何をしたわけでもないが、何か調子がすぐれない。
おかげで日曜日は、本格的な休養日だ。
恐ろしいことに、ほぼひきこもり状態だった。
腰を安静にしながら、英語を読んで、ネットでツインピークスを見た。
ツインピークスは、何年前だろうか、自分が小学生くらいだったような気がする。
歳をとったもんだとつくづく考える。
月曜日は、大学院の日だった。
院生同士のディスカッションも、激しくなってきた気がする。
やっぱりお互い、慣れるまでは時間がかかってしまう。
まぁ、それは仕方がないことだ。
お互い、良い研究へと進むことを願う。
火曜日は、今週末に後輩の症例発表があり、その添削とディスカッションをした。
症例は、本当に難しい。
要素還元的な視点に走り過ぎる自分に反省。
もっと深く、症例に踏み込むこと必要性を再認識した。
出直しだ。
実験研究も大事だが、症例研究を深めていかないといけない。
少し甘かった自分を見た。
学会発表が終わって、これからが再スタートだと思う。
仕事は相変わらず、山もりだが、なんとか楽しめている。
前進あるのみだ。
色々な価値観はあるもんだが、もちろん自分の価値観がすべてではない。
土曜日に同級生と飲みに出かけたが、そこのマスターの苦労話を聞いた。
恵まれた環境に疑問を感じた。
もちろん、今の自分もそうだし、周囲の人間たちもそうだ。
当たり前であることは部分に盲目になる。
注意深いことは、全体を見失う。
それは、経済的にもそうだし、人間関係もそうだ。
そして、理学療法に関してもそうなのかもしれない。
そのマスターのお嫁さんは外国人の方、らしいのだが色んな苦労があるらしい。
でも、その奥さんは言うには、日本人が自殺する理由がわからないと。
何だろうか、当たり前に見える裕福さは一見、豊かに思えるかもしれないが、知らぬ間に個人の存在を消しているような気がする。
社会の歯車になれない、イレギュラーしたら、排除される。
豊かに見えて残酷なのかも。
楽しむことを失っている。
少しのことに一喜一憂する。
そんな感覚がなくなっている気がする。
なぜなら、すべてが当たり前だから。
感覚ない世界になって初めて気づく、感覚の重要性。
そんな感覚も動作ができれば良いと、やり過ごすセラピスト。
ある意味残酷?
possibilityは??
当たり前であること、いまのpayもそうだし、友人、家族もそうだ。
運動機能、感覚機能なんかもそうだ。
筋力とはなにか?人が運動するとは何か?
ADLができる?できなから、動作の練習をする?
何か、喉に骨がつっかえた感じがして仕方がない。
再出発だ。
スタートに立ち戻ることにする。
色んなことにおいて。
前進あるのみだ。
そして、楽しむことにしよう。
先週の金曜日に注射をしてから、少々調子が良くなかった。
先週の土曜日は出勤日であり、ぼちぼちと過ごした。
病院内は、暑いのか寒いのかよくわからない状態だ。
この季節の暖房は確実に喉を壊す。
つらい季節だ。
腰の方の調子も悪い。
何をしたわけでもないが、何か調子がすぐれない。
おかげで日曜日は、本格的な休養日だ。
恐ろしいことに、ほぼひきこもり状態だった。
腰を安静にしながら、英語を読んで、ネットでツインピークスを見た。
ツインピークスは、何年前だろうか、自分が小学生くらいだったような気がする。
歳をとったもんだとつくづく考える。
月曜日は、大学院の日だった。
院生同士のディスカッションも、激しくなってきた気がする。
やっぱりお互い、慣れるまでは時間がかかってしまう。
まぁ、それは仕方がないことだ。
お互い、良い研究へと進むことを願う。
火曜日は、今週末に後輩の症例発表があり、その添削とディスカッションをした。
症例は、本当に難しい。
要素還元的な視点に走り過ぎる自分に反省。
もっと深く、症例に踏み込むこと必要性を再認識した。
出直しだ。
実験研究も大事だが、症例研究を深めていかないといけない。
少し甘かった自分を見た。
学会発表が終わって、これからが再スタートだと思う。
仕事は相変わらず、山もりだが、なんとか楽しめている。
前進あるのみだ。
色々な価値観はあるもんだが、もちろん自分の価値観がすべてではない。
土曜日に同級生と飲みに出かけたが、そこのマスターの苦労話を聞いた。
恵まれた環境に疑問を感じた。
もちろん、今の自分もそうだし、周囲の人間たちもそうだ。
当たり前であることは部分に盲目になる。
注意深いことは、全体を見失う。
それは、経済的にもそうだし、人間関係もそうだ。
そして、理学療法に関してもそうなのかもしれない。
そのマスターのお嫁さんは外国人の方、らしいのだが色んな苦労があるらしい。
でも、その奥さんは言うには、日本人が自殺する理由がわからないと。
何だろうか、当たり前に見える裕福さは一見、豊かに思えるかもしれないが、知らぬ間に個人の存在を消しているような気がする。
社会の歯車になれない、イレギュラーしたら、排除される。
豊かに見えて残酷なのかも。
楽しむことを失っている。
少しのことに一喜一憂する。
そんな感覚がなくなっている気がする。
なぜなら、すべてが当たり前だから。
感覚ない世界になって初めて気づく、感覚の重要性。
そんな感覚も動作ができれば良いと、やり過ごすセラピスト。
ある意味残酷?
possibilityは??
当たり前であること、いまのpayもそうだし、友人、家族もそうだ。
運動機能、感覚機能なんかもそうだ。
筋力とはなにか?人が運動するとは何か?
ADLができる?できなから、動作の練習をする?
何か、喉に骨がつっかえた感じがして仕方がない。
再出発だ。
スタートに立ち戻ることにする。
色んなことにおいて。
前進あるのみだ。
そして、楽しむことにしよう。
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