Procedure -The Fifth Edition-
両刃?
日本語は、英語と比べて主語を使わない。
これには、物事をオブラートにするメリットもあれば、ごまかすことにもなる。
何かしら、雰囲気のみで話をしてしまうことが多いことを反映しているのかもしれない。
個人的には、英語的な表現が好きだ。
それは、物事が明確になるからだ。
特に仕事、理学療法の科学性を求める上では、常に主語と述語は明確にしておきたい。
治療において、雰囲気で語ることは好まない。
雰囲気とは感じるものであり、治療の仮説を組み立てる段階では、論理的思考にバイアスをかける可能性がある。
ぼちぼち、そういう世界から脱却が必要ではないだろうか?
論理的に思考する者に対して、雰囲気だけで覆い隠そうとする。
勉強不足を経験の名のもとにうやむやにしていはいけない。
向き合う気持ちを持つべきだ。
人間には情動・感情がある。
成功体験だけでは、報酬が報酬でなくなるかもしれない。
簡単に慣れてしまう動物なのだ。
人に対して、感情を示すこと(例えば、怒ること)の意味を考えてほしい。
一見、その現象はつらい場面を想像させるかもしれない。
しかし、その感情、情動を喚起させる体験の意味だ。
イベントに対して、感情・情動を使用していくことは記憶していくことに協力的かもしれない。
もう一つは、労力が必要だということだ。
怒らないことを肯定することも必要かもしれないが、感情が出ない人間は、それこそ鈍感?無関心なのかもしれない。
キレイごとは聞きたくない。
と、いきなり感情を爆発させた感もあるが・・・・
今日は、昨日の飲み会のダメージを少し引きずっている・・・
少々、二日酔いだ。
なんとか、出勤頃には復活したが、体調は決して良くなかった。
ぼちぼち、一日を終えた。
業務終了後は学生へのフィードバックを行った。
少々、きつい面もあるかもしれないが、なんとか奮闘して超えて欲しい。
その後は、同じ院生のスライドを添削した。
プレゼンテーションのための、良いトレーニングになった。
人に伝えることの難しさを改めて実感した。
本当に難しい。
なんだかんだといっても、プレゼンテーション技術は欲しいものだ。
興味を引く話し方は、魅力的だろう。
前進あるのみだ。
前に進むことを考えよう。
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