Procedure -The Fifth Edition-
思考の循環
水曜日は久し振りに、帰宅後すぐにブログを書いたが、どうしても次の日の朝に書くことが増えている。
ブログ自身は過去形の部分、現在の部分と、そして未来とどの時期のことも書くことができる。
主には、過去の記憶の整理が中心といったところか。
人間は毎日し、思考し人と向き合っている。
とりわけ、対患者との思考はかなり重要だ。
それはセラピストが教育者でもあり学習者でもあるからだ。
つまり、その日の思考が明日をshapeするのかもしれない。
そのための記憶の整理は、重要な作業かもしない。
自らのワーキングメモリをフル稼働させ、その日の情報を引っ張り出してこなければならない。
改めて、その日の思考を記述することによって新たな解釈が生み出されれるのかもしれない。
昨日は、いつもながら頸髄損傷の身体イメージについて考えていた。
イメージ・図式、いずれも記憶には違いないが、その形成過程がどうも謎だ。
使えるモダリティーは決まっているが、何か特徴的なところがきっとあるに違いがない。
ヒトの頭は視覚的に運動をみることによって、その運動と同様の運動関連領域が活性化する。
その活性は何を反映するのか?
現在形?過去形?どちらの自分をみているのだろうか?
どちらを反映している頭なのだろうか?
知覚・行為・環境のダイナミクスの中で、何が映し出されるのあろうか?
追求するしかないな。
当たり前を当たり前と思わないこと。
その先に、新たな展開があると信じるしかない。
晩は恩師のもとで、英語抄録の最終チェックに。
つくづく英語能力の低さを痛感・・・・
こんなことではだめだな。
one step上の自分を見るためには、クリアしていかなければならない。
色々収穫があった日だ。
次から次へと思考の展開・・・・その創造性はみごとであるとしか言いようがない。
抄録はなんとか本日submitする予定だ。
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