Procedure -The Fifth Edition-
楽な方へ・・・・・?そんなはずは・・・・・
今日は天気が爽快だった。
月曜日に同僚と靴の話をしていて、何気に黒の山根ブーツを履いて出勤した。
靴の道楽も、色々考えだすと楽しい。
ささやかな、喜びだ。
こんな天気が良い日は、患者さんを外へ連れ出したくなる。
桜が満開ということもあり、季節を感じる意味でも大事なことだと思う。
日本には四季があり、その変化を感じることは、まさに生命の営みだ。
単に、感覚だけでは表現できないようなエピソード記憶としての何かを揺さぶるだろう。
運動できること自体も重要なのだが、感じることそのものの単純ながら永遠なものを考える。
感じることの幸せ、喜びを認識することなんて、基本的にはないだろう。
怪我や病気をして初めて、己の身体へのギャップと疑問を抱く。
日常、当たり前に思えている感覚が当たり前ではなくなる。
想像するだけでも恐ろしい・・・・・
先日、頚髄損傷の方と感じる身体について話をしていた。
本人が体感している世界と、他者が捉える世界。
そして生活するのに都合の良い世界と・・・・・
色々と解釈上難しい問題がある。
むしろ、感じている身体への疑問すら浮かび上がるのだ。
時として、感覚が存在しないものとして身体を扱う方が楽とも言う。
確かに、そういった側面があることもまた事実なのだろう。
その反面、そうでない部分も持ち合わせる。
感じる身体だ。
トップダウン処理による、身体の知覚もまた行われているのだ。
この複合的な認知的処理の混乱は、どのように解釈していくのだろうか・・・?
疑問である。
環境・課題に応じて、その認識をダイナミックに変えていることも一つなのだろう。
そのとらえ方について、知りたい気もする・・・・・
これは、この数年で何らかの視点を構築していくつもりだ。
前進あるのみだ。
夕方は、論文の修正を行った。
半分ほど書き換えた・・・・
ボスからも言われていたが・・・・もうやめたくなる瞬間とはこのことだと思った。
しかし、ここでの忍耐が新たな創造性を生み出すはずだ。
走りづらいタイピングの指を無理やりにでも、動かすことだ。
こころを表現する指。
身体運動からこころに揺さぶりをかける。
人間あきらめが肝心なんてことは言いたくない。
前進するのだ。
なんとか、4月中を目途に仕上げにかかろう。
成し遂げることをイメージしていくしかない。
前進あるのみだ。
辛いことが楽しみに変わる。
何でも楽しまなきゃ、もったいない。
帰宅後は、少しでもいいから英語に手をつけた。
粘り強く、歩むのだ。
前進あるのみ。
どうせなら楽しまなきゃ。
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