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見る目が違う?

金曜日は、珍しく外来が少なくゆったりとした一日だった。
たまにはこんな日があってもいいかな。
ゆったりとした日々はいつも以上に思考することができる。

後輩の訓練へも参加したが、緊張感があってなかなか良い。
もっといろんな訓練を見合うことで、臨床思考能力をお互い高めていけると良い。
認知がどうだとかではなく、人間の運動、そして行為を変えようとしている点では同じである。
セラピストの視点が違うだけで、対象としている個体が勝手に変化するわけではない。
あくまでも個体は個体であり、変化を求めるセラピーが存在するだけだ。
セラピストの中で、理論的に行き詰ったセラピーにもはや挽回の余地は無い。
同じ視点でいる限り、異なる側面は見えてこない。
異なる側面が見えることは新たな介入の糸口となる。
そして、それを自省しさらに思考することで、臨床介入としての記憶が蓄積されていく。
人間の行為を変化させることを簡単に考えてはいけない。
人間は複雑なんだから。
すべてが解明されているわけではない。
それなのに、外から見える介入だけでは、すでに不十分なのではないだろうか?
対象者とインタラクションするということはどういことか?
よく考えていく必要がある。
知識はそんなに簡単に増えるものではないが、テクニックだけで解決しないことを知るべきだ。
マニュアルセラピーでは、上肢の運動制御そのものは改善しないはずだ。
痛み、末梢からの情報が変化するにしか過ぎない。
すでに誤って学習された上肢の運動が改善するのは難しいのではないだろうか?
脳卒中もそうだ。
一流セラピストがやっていることと、見よう見まねだけでは何も解決しない。
そこに差異が存在しなければ、望んでいる学習を期待することは難しい。
ADl訓練もそうだ。
環境と相互作用するためには、単純な繰り返しであってはいけない。
個別性をもった、視点での介入が必要だ。
左片麻痺のトイレ動作、右片麻痺のトイレ動作。
そこに個人は存在していない。

どれか一つでは不十分だ。
あらゆる視点からの、見つめなおしが必要ではないだろうか。
エゴイズムであってはならない。
自省しなければ、違う自分に出会うことができない。

夕方は、症例検討を行った。
非常に、興味深い症例であった。
ディスカスからまた新たな仮説、そして検証方法が思い浮かんだ。
深く、深く、動作、言語などなどを分析していく。
こまかな分析が重要だ。
これからは少し、主語について注目していきたい。

帰宅し、ゴキブリと格闘・・・・
手ごわい。

土曜日は朝から、少し散歩。
研究計画をぼちぼち作成しだすことにするか。
昼からは、大学院の説明会へ行ってこようと思う。
今日も暑そうだ。

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