Procedure -The Fifth Edition-
There is no royal road to learning・・・
ある理学療法士の日記
質
体調はほんの少しずつだが回復してきている。
ここ何年かのツケがマワッテきたな。
自己の身体と向き合い、対話するしかないな。
無理に無理を重ねることは、本当によくないことを知った。
これから気をつけることにしなきゃな。
最近、早めに帰宅するようにしている。
体調のことを考えると今はそれが第一選択だろう。
今日は、アンビリバボーを見ていた。
その中で、虐待を受けたチワワの話があった。
虐待によって、脊髄を損傷し運動を失った。
そして、声帯までも傷つけられ声を失った。
吠えることができない対麻痺の犬だ。
昔に私が飼っていた犬も脊髄損傷だった。
若くして、脊髄損傷になり、その後10年あまり生きた。
獣医も驚くくらいの生命力だった。
無くなってもう数年経つが、今もその顔を忘れられない。
当時は部活や、学校、バイトが忙しくあまりかまってやれなかった。
でも、毎日顔を見てスキンシップはとっていたが・・・
何より生きることに懸命だった。
テレビのチワワも同じだ。
生きることに懸命だ。
何となく自分を反省した。
生きることには真剣だが、少しわがままだったな。
あるがままを受け入れることも重要だ。
懸命だ。
ひたむきだ。
今一度、自分を見つめなおすことが必要かな。
満たされることを求めると、果てしない欲を引きずり込まれる。
欲は人を動かすエネルギーだが、人としての本質を見失わないようにしなければ・・・・
自省しよう。
障害を持った友人からも、耳の痛い言葉を頂いた。
医療・福祉の人間は手帳(障害者手帳)を持ってないだけで、上に立ったように接するとのことだ。
本当に耳が痛い・・・・・
自分が何か、今一度考えねばならない。
自分の身体・こころを自由に操れることの幸せを認識する必要があるだろう。
少なくとも、こういった業界の人間は共感するシステムが機能しなければならない。
ヒトゴトで訓練はできないだろう。
医療・福祉はそんな仕事じゃないのだろうか。
腹をくくって仕事をしたほうがいいな。
さらに上質を求め、可能性に挑戦することを諦めたくない。
体調は悪いが、頭は少しずつ回転し始めている。
夕方は学生の発表だった。
頸髄損傷の症例だったが、なかなか興味深い考察をしていた。
単純な筋力低下といった、思考にならなかったことはバイザーの指導、学生自身の思考の質を表わしている。
知覚といった、抽象的な表現をする場合にはさらに科学的根拠が必要だろう。
なぜ、プッシュアップに知覚が重要なのだろうか?
今後、さらに深めていけるともっと興味深い訓練につながるかもしれない。
もちろん、最低限の構造体としての身体問題はクリアしないといけないが・・・・
過去と現在との乖離。
新たな身体の創造。
恐怖心に至ってもそうだ。
何が怖いかだ。
何に対して怖いかを覗きこまないといけない。
その情動的言語は、何らかの認知的側面を背景に持つはずだ。
それは本人の意識経験であり、そとから目で見ることはできない。
何らかの形で、脳内にアクセスするしかない。
もしかすると、そこに問題解決の大きなヒントが含まれているかもしれない。
人間のシステムを知れば知るほど、反応に至る道筋の豊富なバラエティーに出会うことができる。
その多様性をしる手続きが、己を謙虚にしてくれるのかもしれない。
ここ何年かのツケがマワッテきたな。
自己の身体と向き合い、対話するしかないな。
無理に無理を重ねることは、本当によくないことを知った。
これから気をつけることにしなきゃな。
最近、早めに帰宅するようにしている。
体調のことを考えると今はそれが第一選択だろう。
今日は、アンビリバボーを見ていた。
その中で、虐待を受けたチワワの話があった。
虐待によって、脊髄を損傷し運動を失った。
そして、声帯までも傷つけられ声を失った。
吠えることができない対麻痺の犬だ。
昔に私が飼っていた犬も脊髄損傷だった。
若くして、脊髄損傷になり、その後10年あまり生きた。
獣医も驚くくらいの生命力だった。
無くなってもう数年経つが、今もその顔を忘れられない。
当時は部活や、学校、バイトが忙しくあまりかまってやれなかった。
でも、毎日顔を見てスキンシップはとっていたが・・・
何より生きることに懸命だった。
テレビのチワワも同じだ。
生きることに懸命だ。
何となく自分を反省した。
生きることには真剣だが、少しわがままだったな。
あるがままを受け入れることも重要だ。
懸命だ。
ひたむきだ。
今一度、自分を見つめなおすことが必要かな。
満たされることを求めると、果てしない欲を引きずり込まれる。
欲は人を動かすエネルギーだが、人としての本質を見失わないようにしなければ・・・・
自省しよう。
障害を持った友人からも、耳の痛い言葉を頂いた。
医療・福祉の人間は手帳(障害者手帳)を持ってないだけで、上に立ったように接するとのことだ。
本当に耳が痛い・・・・・
自分が何か、今一度考えねばならない。
自分の身体・こころを自由に操れることの幸せを認識する必要があるだろう。
少なくとも、こういった業界の人間は共感するシステムが機能しなければならない。
ヒトゴトで訓練はできないだろう。
医療・福祉はそんな仕事じゃないのだろうか。
腹をくくって仕事をしたほうがいいな。
さらに上質を求め、可能性に挑戦することを諦めたくない。
体調は悪いが、頭は少しずつ回転し始めている。
夕方は学生の発表だった。
頸髄損傷の症例だったが、なかなか興味深い考察をしていた。
単純な筋力低下といった、思考にならなかったことはバイザーの指導、学生自身の思考の質を表わしている。
知覚といった、抽象的な表現をする場合にはさらに科学的根拠が必要だろう。
なぜ、プッシュアップに知覚が重要なのだろうか?
今後、さらに深めていけるともっと興味深い訓練につながるかもしれない。
もちろん、最低限の構造体としての身体問題はクリアしないといけないが・・・・
過去と現在との乖離。
新たな身体の創造。
恐怖心に至ってもそうだ。
何が怖いかだ。
何に対して怖いかを覗きこまないといけない。
その情動的言語は、何らかの認知的側面を背景に持つはずだ。
それは本人の意識経験であり、そとから目で見ることはできない。
何らかの形で、脳内にアクセスするしかない。
もしかすると、そこに問題解決の大きなヒントが含まれているかもしれない。
人間のシステムを知れば知るほど、反応に至る道筋の豊富なバラエティーに出会うことができる。
その多様性をしる手続きが、己を謙虚にしてくれるのかもしれない。
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