Procedure -The Fifth Edition-
There is no royal road to learning・・・
ある理学療法士の日記
進行形の変化形、そして小鳥のさえずり
昨日の晩というか、今日の深夜になるが、結局、論文の下準備を行った。
目途がついたところで、英語の翻訳を行い・・・どうやらそのまま就寝・・・
深夜3時を過ぎていたか・・・・
なんとか6時に目覚め、出勤の準備を。
出勤し、身体との対話をたしなんだ。
かなり、自分の身体とのinteractionも図れてきている印象だ。
朝からはミーティングへ出席し、その後はいつもの臨床へ。
そろそろ、本格的に自分へのハードルを上げることを考えた。
ハードルを上げることの意味、そして自分の信念とは何かだ。
ちょいと前の、彼なる一族に「信念を持つ者が一番強い」みたいなフレーズがあったような気がする。
思想として、信念を持つことは本当に重要だ。
それがあるい意味、自分自身を形作る信念であるかもしれない。
かといって、その信念も完結型ではない。
信念すらも何か、自分の生きている意味、考えていること自体を確かめているかもしれない。
「もし、鳥が自分は何を歌い、なぜそれを歌い、自分の中の何が歌っているのかを明確にいうことができたら、鳥は歌わないであろう」
ヴァレリーの言葉だ。
自分自身の信念も、模索だ。
臨床も、研究も何かも模索だ・・・・・
しかし、そんな模索だからこそ変化があって楽しい。
awarenessともいう。
昨日の自分でない、今日の自分。
ただし、それは昨日と今日がかけ離れているわけではない。
自分の身体への可能性。
自分の思考への可能性。
そして、自分が存在することすらの可能性だ。
決して、答えがでるわけではないが、ongoingでいい。
生きることを楽しむ。
人間だからこその営みだ。
夕方は症例検討を行った。
脳卒中の症例を提示した。
自分の臨床思考を示した。
準備不足というか、時間がたりなかったため中途半端での発表だったが、それも変化形で楽しいかもしれない。
最大限に患者を観察し、そして分析を加え、徹底的に議論する。
その解釈こそが、あらたな臨床の展開を創発させる。
目に見えるものにだまされない、仮説が必要だ。
それが臨床が科学を超える瞬間なのかもしれない。
臨床の可能性だ。
臨床家としての、可能性もそこに存在している。
セラピーが科学に勝らなければならない。
そうでない限り、EBM以上の回復はこの世に存在しなくなってしまう。
そんな仕事なら、やめた方がましだ。
患者、同僚とともに、より良い臨床を考えたい。
夕方は先輩と、臨床と研究の接点について話をした。
研究者が研究することは、非常に助かる。
ただ、臨床にいる人間も検証できる、技術を身につける必要がある。
セラピストは臨床だけできれば良いという人もありかもしれない。
もちろん、目の前の患者を回復させてこそセラピストだと思う。
一方で、その思考・技術を共有できるよう手続きを踏むことが学問として成就させるはずだ。
その両方が必要なのではないだろうか。
その意義は、維持を張らず、歩み寄るべきだ。
時間がないという人もいるが、考えることはいつでもできる。
やるかやらないか・・・・
もちろん、取り組んでいる人間は、検証を加えそしてその必要性を世に示すべきだろう。
労力は必要だが、それがプロの仕事だ。
最近、つくづく思うのは、自分がタフであるということ。
高校時代から、周囲には比較的タフな人間が多かったせいか、自分が普通だと思っていた。
自分の道を進み続けよう。
それが平和だ。
前進あるのみ。
なんとか、今晩で翻訳を終わらせます。
前進あるのみだ。
目途がついたところで、英語の翻訳を行い・・・どうやらそのまま就寝・・・
深夜3時を過ぎていたか・・・・
なんとか6時に目覚め、出勤の準備を。
出勤し、身体との対話をたしなんだ。
かなり、自分の身体とのinteractionも図れてきている印象だ。
朝からはミーティングへ出席し、その後はいつもの臨床へ。
そろそろ、本格的に自分へのハードルを上げることを考えた。
ハードルを上げることの意味、そして自分の信念とは何かだ。
ちょいと前の、彼なる一族に「信念を持つ者が一番強い」みたいなフレーズがあったような気がする。
思想として、信念を持つことは本当に重要だ。
それがあるい意味、自分自身を形作る信念であるかもしれない。
かといって、その信念も完結型ではない。
信念すらも何か、自分の生きている意味、考えていること自体を確かめているかもしれない。
「もし、鳥が自分は何を歌い、なぜそれを歌い、自分の中の何が歌っているのかを明確にいうことができたら、鳥は歌わないであろう」
ヴァレリーの言葉だ。
自分自身の信念も、模索だ。
臨床も、研究も何かも模索だ・・・・・
しかし、そんな模索だからこそ変化があって楽しい。
awarenessともいう。
昨日の自分でない、今日の自分。
ただし、それは昨日と今日がかけ離れているわけではない。
自分の身体への可能性。
自分の思考への可能性。
そして、自分が存在することすらの可能性だ。
決して、答えがでるわけではないが、ongoingでいい。
生きることを楽しむ。
人間だからこその営みだ。
夕方は症例検討を行った。
脳卒中の症例を提示した。
自分の臨床思考を示した。
準備不足というか、時間がたりなかったため中途半端での発表だったが、それも変化形で楽しいかもしれない。
最大限に患者を観察し、そして分析を加え、徹底的に議論する。
その解釈こそが、あらたな臨床の展開を創発させる。
目に見えるものにだまされない、仮説が必要だ。
それが臨床が科学を超える瞬間なのかもしれない。
臨床の可能性だ。
臨床家としての、可能性もそこに存在している。
セラピーが科学に勝らなければならない。
そうでない限り、EBM以上の回復はこの世に存在しなくなってしまう。
そんな仕事なら、やめた方がましだ。
患者、同僚とともに、より良い臨床を考えたい。
夕方は先輩と、臨床と研究の接点について話をした。
研究者が研究することは、非常に助かる。
ただ、臨床にいる人間も検証できる、技術を身につける必要がある。
セラピストは臨床だけできれば良いという人もありかもしれない。
もちろん、目の前の患者を回復させてこそセラピストだと思う。
一方で、その思考・技術を共有できるよう手続きを踏むことが学問として成就させるはずだ。
その両方が必要なのではないだろうか。
その意義は、維持を張らず、歩み寄るべきだ。
時間がないという人もいるが、考えることはいつでもできる。
やるかやらないか・・・・
もちろん、取り組んでいる人間は、検証を加えそしてその必要性を世に示すべきだろう。
労力は必要だが、それがプロの仕事だ。
最近、つくづく思うのは、自分がタフであるということ。
高校時代から、周囲には比較的タフな人間が多かったせいか、自分が普通だと思っていた。
自分の道を進み続けよう。
それが平和だ。
前進あるのみ。
なんとか、今晩で翻訳を終わらせます。
前進あるのみだ。
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