Procedure -The Fifth Edition-
There is no royal road to learning・・・
ある理学療法士の日記
アイデンティー
今日は木曜日。
久しぶりに天気が良いので、先日購入したデッキシューズを着用した。
鮮やかな緑がなんとも気分爽快だ。
出勤するときにこのくらいの楽しみがあっても良いだろう。
朝から、昨日の公開講座の報告をした。
地域で活躍されているケアマネ、ヘルパーさんに色々と意見を頂いた。
現場にいるわけではないので、的確なアドバイスができたかどうかは微妙だが・・・
地域の現状を教えて頂いた。
思っていたより、非常に厳しい状況でいるようだ。
現実的には、経済的な理由から十分なサービスが受けられない方々が大勢いる。
セラピストもサービスの一環でしか介入できないことから、辛い思いをされていることも多々あるようだ。
実際なら、セラピストが介入して、アプローチを練るのが良いのかもしれないが・・・
そうなると、介護で介入されている方の視点というのは、ある意味命綱だ。
そこでのクオリティーを共に高めていけると、地域にも幾分は貢献できるのかもしれない。
職場的には、地域へ直接出向いて介入することが難しい。
間接的ではあるが、何らかの形で貢献することがある意味使命なのかもしれない。
準備は大変だったが、非常に貴重な経験をさせていただいた。
講義をして頂いた、主任をはじめ、協力してくれた同僚には感謝だ。
お互いが良い形で前進できると嬉しい限りだ。
来年度はもっと、形式的に進めていくことで予定している。
午前中は身体イメージについて考えていた。
人間が何を知覚しているのか・・・・?
それは患者の生きる世界を理解することでもある。
どうしても、人間の頭はシンプルに処理をしたがる傾向にある。
脳卒中片麻痺の方が、麻痺肢の感覚をないものとして認識してしまう。
それは、シンプルに足をつっかえ棒のように硬くすることなのかもしれない。
モノをつかむ手が、手の持つ自由度の高い関節の運動が失われ、固まったような手の動かし方なのかもしれない。
頚髄損傷者が、自分を体を何も分からないと苦悩することなのかもしれない。
しかし、知覚は続くのだろう。
そんなシンプルな世界に生きているのか、それともシンプルにしているだけなのか・・・
もっともっと、リアルな世界は複雑だろう。
そんな多様性のある身体に魅力を感じる。
セラピストはその世界を知り、共に向かっていく役目があるのかもしれない。
午後からは、脳幹の機能について考えていた。
脳幹障害の病態としては、大脳皮質がクリアだ。
皮質下の機能の制御が求められる。
しかし、複雑な神経核が集まっており、その病態の分析は難を極める。
どこから、切り込むことが良いのだろうか?
これから、思考していくことにする。
脳の階層性理論が真実ならば、大脳皮質で制御しえるはずだ。
もう少し、従来とは異なる階層性であれば、違った介入が求められるだろう。
前進あるのみだ。
夕方は、抄録を作成していた。
書いても書いても、しっくりこない・・・・
まだまだ、吟味が必要か。
それにしても、少ない文字数に収めるとは難しいものだ。
頭の中でまとまっていない裏返しかもしれない。
なんとか、来週中には添削していただけるように、今週は踏ん張りたい。
ここでは忍耐だ。
先輩PTからはあまり無理するなと言われたが、正直無理している感じはない。
好きでやっているから。
自分にハードルを課すことも別に苦にならない。
好きでやっているから。
そんな風に映っているのだろうか?
作業量だけでみると、大変に見えるかもしれないが、忙しいとは思うが、大変とは思わない。
むしろ、良い経験だ。
多少、ストイックに生きる方が感覚が研ぎ澄まされて良い。
はるか昔、人間が野生だったころはこの感覚を研ぎ澄まし、狩りをしていたのだろう。
きっと、そういった感覚には人間の見えていない可能性が含まれている気がする。
追い込まれて初めて見えるモノ。
それを追い求めているのかもしれないが・・・
きっと、自分が見ているものは他人が見ているものとは違うのかもしれない。
自己分析的に能動的な自分にとっては、すべてが強化学習だ。
むしろ、制限をかけるほうが大変だ。
運動せずにイメージだけするのと同じで、抑制には頭を使う。
自由奔放だと思ってください。
前進あるのみだから。
あと、少し英語を翻訳してから眠りにつくことにしよう。
後ろを見ている暇はない。
久しぶりに天気が良いので、先日購入したデッキシューズを着用した。
鮮やかな緑がなんとも気分爽快だ。
出勤するときにこのくらいの楽しみがあっても良いだろう。
朝から、昨日の公開講座の報告をした。
地域で活躍されているケアマネ、ヘルパーさんに色々と意見を頂いた。
現場にいるわけではないので、的確なアドバイスができたかどうかは微妙だが・・・
地域の現状を教えて頂いた。
思っていたより、非常に厳しい状況でいるようだ。
現実的には、経済的な理由から十分なサービスが受けられない方々が大勢いる。
セラピストもサービスの一環でしか介入できないことから、辛い思いをされていることも多々あるようだ。
実際なら、セラピストが介入して、アプローチを練るのが良いのかもしれないが・・・
そうなると、介護で介入されている方の視点というのは、ある意味命綱だ。
そこでのクオリティーを共に高めていけると、地域にも幾分は貢献できるのかもしれない。
職場的には、地域へ直接出向いて介入することが難しい。
間接的ではあるが、何らかの形で貢献することがある意味使命なのかもしれない。
準備は大変だったが、非常に貴重な経験をさせていただいた。
講義をして頂いた、主任をはじめ、協力してくれた同僚には感謝だ。
お互いが良い形で前進できると嬉しい限りだ。
来年度はもっと、形式的に進めていくことで予定している。
午前中は身体イメージについて考えていた。
人間が何を知覚しているのか・・・・?
それは患者の生きる世界を理解することでもある。
どうしても、人間の頭はシンプルに処理をしたがる傾向にある。
脳卒中片麻痺の方が、麻痺肢の感覚をないものとして認識してしまう。
それは、シンプルに足をつっかえ棒のように硬くすることなのかもしれない。
モノをつかむ手が、手の持つ自由度の高い関節の運動が失われ、固まったような手の動かし方なのかもしれない。
頚髄損傷者が、自分を体を何も分からないと苦悩することなのかもしれない。
しかし、知覚は続くのだろう。
そんなシンプルな世界に生きているのか、それともシンプルにしているだけなのか・・・
もっともっと、リアルな世界は複雑だろう。
そんな多様性のある身体に魅力を感じる。
セラピストはその世界を知り、共に向かっていく役目があるのかもしれない。
午後からは、脳幹の機能について考えていた。
脳幹障害の病態としては、大脳皮質がクリアだ。
皮質下の機能の制御が求められる。
しかし、複雑な神経核が集まっており、その病態の分析は難を極める。
どこから、切り込むことが良いのだろうか?
これから、思考していくことにする。
脳の階層性理論が真実ならば、大脳皮質で制御しえるはずだ。
もう少し、従来とは異なる階層性であれば、違った介入が求められるだろう。
前進あるのみだ。
夕方は、抄録を作成していた。
書いても書いても、しっくりこない・・・・
まだまだ、吟味が必要か。
それにしても、少ない文字数に収めるとは難しいものだ。
頭の中でまとまっていない裏返しかもしれない。
なんとか、来週中には添削していただけるように、今週は踏ん張りたい。
ここでは忍耐だ。
先輩PTからはあまり無理するなと言われたが、正直無理している感じはない。
好きでやっているから。
自分にハードルを課すことも別に苦にならない。
好きでやっているから。
そんな風に映っているのだろうか?
作業量だけでみると、大変に見えるかもしれないが、忙しいとは思うが、大変とは思わない。
むしろ、良い経験だ。
多少、ストイックに生きる方が感覚が研ぎ澄まされて良い。
はるか昔、人間が野生だったころはこの感覚を研ぎ澄まし、狩りをしていたのだろう。
きっと、そういった感覚には人間の見えていない可能性が含まれている気がする。
追い込まれて初めて見えるモノ。
それを追い求めているのかもしれないが・・・
きっと、自分が見ているものは他人が見ているものとは違うのかもしれない。
自己分析的に能動的な自分にとっては、すべてが強化学習だ。
むしろ、制限をかけるほうが大変だ。
運動せずにイメージだけするのと同じで、抑制には頭を使う。
自由奔放だと思ってください。
前進あるのみだから。
あと、少し英語を翻訳してから眠りにつくことにしよう。
後ろを見ている暇はない。
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