Procedure -The Fifth Edition-
考える
九州より戻ってきた。
金曜日に飛行機で出発し、あっという間に九州へ。
その後、バスで移動し施設見学を行った。
脊髄損傷者のリハビリテーションに特化した施設であるために、本当にスペシャルだった。
そこには以前、担当していた方もいらっしゃるので元気そうな顔を見ることができた。
すごく良くなっているようで、驚いた。
いったい何がそうさせるのだろうか?
実際行っている、リハビリテーション訓練については大きな違いは無いようにも思う。
もちろん自助具といったものの開発にはかなり長けているようだが。
実際に、患者さんの声を聞かせていただいたが、環境なのかと思った。
環境と言っても、単にハード面だけの問題を指しているわけではない。
どちらかというと、ソフト面(人材)の問題なのかもしれない。
スタッフはもちろんスペシャルだとは思うが、同じ境遇の方がいるということが良いのだろう。
極端な話、セラピストは脊髄損傷になったわけではなく、本当の気持ちなんてわかるわけがない。
多少誤解を生むかもしれないが、感覚面の変化だけは経験することができない。
もちろん気持ちも・・・・
所詮は、歩ける人、手足が動く人だ。
同じ境遇の人を見て初めて、3人称的に自分の体を見ることができるのかもしれない。
ピアーサポートの重要性も提唱されているし、それと同様だろう。
身体的にも、精神的にも、そして社会的にも同様の境遇の人がたくさんいることで、自分の中にいる本当の障害に立ち向かうのかもしれない。
当然、中には自分に立ち向かえず負けてしまう方もいらっしゃるということも聞いた。
それだけ、深刻な問題なんだ。
晩は、シンポジウムのスタッフ、参加者と懇親をした。
お魚をいただき、本当においしかった。
そして脊髄損傷について色々話をすることができた。
自分の研究については、話をしていないが・・・・
今回は、医療と福祉がテーマだからいいのだが。
当日の内容も含めて、情報交換を行った。
やはり論点に上がっているのは、入院期間の短縮、そして高齢化、入院施設の多様化等が中心であった。
特別講演をしてくださる先生の話では、療養者ではなく生活者にしなければならない。
すごく重要な視点だ。
療養者であるか、生活者であるか、もちろん経済面での相違もあるが何より人間として目標をもって生きてほしい。
療養者の生活が、ダメというわけでは決してなく、生活者になれる人が療養者になることに問題がある。
そこの背景には、自己の身体との対話をどれだけするかがありそうだ。
障害がシビアになればなるほど、激変した自己の身体を知ることができないだろう。
自分をしるからこそ、HOWが生まれる。
そのための期間も、診療報酬の算定期限に考慮されると理想的だ。
自己の身体、そしてその延長線上にある自己の可能性。
それがなければ、障害受容なんてできないのかもしれない。
当日の講演のパフォーマンスも非常に高かった。
穏やかな声で、的確に問題点を説かれていた。
単なる連携ではなく、その時に応じた最善を尽くした取り組みが重要であること。
専門的に特化した施設が、中心となり流れをつくること。
流れが澱むと、新たな問題が生じる。
きれいな流れ。
これは、社会全体の理解がなければ実現が難しいこと。
理解のために、専門施設は何をするのか。
医療・福祉といった枠組みではなく、重要なことは主体を患者に置き、リハビリテーションプロセスをオーダーメイドにしなければならない。
もっと理解が必要なのだろう。
シンポジウムもぼちぼち意見を述べることができた。
算定上限が決まっている制度中での工夫について話をした。
九州は遠かったが・・・・自分にとって本当に良い経験だった。
正直、もっとディスカッションしたかったな~
明日は2回目の公開講座。
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着々と
夢が着々と広がる感じで☆
これを機会にもっと色々広がっていくと良いですね。
明日の公開講座も成功するといいですね!
自分のことも考えなくては…。
色んな機会を成長するためのステップアップに使って楽しんでいけたらと思います。
- ブルーナ
- 2008/03/09(Sun)00:52:38
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