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1 or 2?

昨日は土曜日。
朝からの用事があったため出かけた。

そんな中ふと考えていたのが、他人、とりわけ患者の世界観を理解することだ。
認知を勉強するセラピストとしては、その世界に切り込むことが求められる。
身体観をどのように捉えるかは、切り込むための前提だろう。
身体観とは、簡単言ってしまえば、それまでことだが、非常に難しい要素が含まれる。
つまり、自己の身体そのものと、その身体に対する概念なのだ。
それは、身体図式や身体イメージ、あるいは他の表現としても用いられる。
この身体観を理解しようとした研究者は数々存在する。
Henly HeadとGordon Holmesは、脳損傷患者の観察から、姿勢図式、そして身体図式の概念を提唱した。
この身体図式は、生理学的な身体観、とりわけ運動制御にマッチした概念であると捉えられている。
そして、Shilderは、さらに感情を含めた身体イメージの概念を提唱した。
これらの研究者は1920年代ことから1930年代にかけて、主張してきた。
そういう意味では、比較的新しい考え方である。
さらに起源をたどるとすれば、フランスの哲学者のルネデカルトまでさかのぼることになるだろう。
心身一元論と二元論の問題だ。
そして、スピノザやライプニッツもこの問題への貢献者であろう。
現在では、shawn GallagherがHow the body shapes the mindの中に記した。
赤ちゃんが手を伸ばすカバーの印象的な本だ。(持っているが行方不明)
しかし、これらに結論を出すことは難しい。
ただし、身体と精神は一つなのである。
この2つを分けて書くこと自体が、二元論として見てしまっているのかもしれないが。

ただ、正直なところ物理的な身体として捉える視点も必要な気がする。
それ自体がナンセンスと言われれば、それまでかもしれない。
やはり、物理的世界に生きている以上、その視点からの解釈は意義がある。
物理的身体としての身体が破損してしまえば、修復される。
例えば、手術がその一つである。
物理的に、身体外から外力を加えることによって、身体機能回復を図ろうとする考え方だ。
当然、それで回復する、むしろそれでしか回復しえない場合もある。
この点、必要性が裏付けられる。
つまり、物理的身体は、環境と相互作用するための、一つの媒体であると考えるほうが自然なのかもしれない。
脳内に意図が存在し、それらを遂行するためには、その媒体が必要である。
その媒体は、常に身体外に働きかけることであり、環境との相互作用が求められる。
その方が自然だ。

かなり、難しい話だ。

夕方に帰宅し、その後は自己の身体との対話をたしなんだ。
少しずつ、身体の反応性が変化してきたようだ。

日曜日は、午前中が研修です。

そろそろ、執筆をはじめないとやばい時期になってきた。
あたまの中では構成ができてきたが、あとは裏付ける文献が必要だな。
論文も書かなければ。
実験もせねば。

八方ふさがりの感も否めないが、前進あるのみ。

これを楽しめるようになれば、たいがいのことが楽しいはずだ。





 

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